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津軽しじみ伝説の歴史的考察
○北前船と十三湖の大和シジミ
青森市周辺では大和シジミの産地が無いにも拘らず、なぜ青森市近郊(特に現在の油川地区)でしじみ伝承が存在するのでしょうか?
その疑問を解く鍵が、北前船だと考えられます。
北前船の津軽地方における寄港地は、大間越、深浦、鰺ヶ沢、十三湊、権現崎、竜飛崎、蟹田、青森です。いずれの地も越中・能登などの北陸商人、近江商人との関わりが深く、特に青森は越後・越前・近江などから移住民を募って、港町として建設されています。
青森が建設される以前は、羽州街道と松前街道が合流する油川が湊として繁栄していました。弘前藩は、青森港では塩タラ、干鰯(ほしか)、煎海鼠(いりこ)、干鮑などの海産物を、鰺ヶ沢では蔵米を、また蟹田港ではヒバ材を積み出していました。
現在の「青森」は、江戸時代の始め頃までは善知鳥(うとう)村と言われ、戸数わずか60戸ほどの鄙びた小さな漁村にすぎなかった。
やがて江戸初期、弘前藩二代藩主・津軽信枚(つがる のぶひら)の時代、港町青森の建設が始まる。 森山弥七郎(1574~1666年、墓は油川にある)が信枚の命により開港奉行となって、大浜(油川:青森市より北西7~8kmの地点、青森開港以前は大浜と呼ばれ外ケ浜第一の湊で、近江から移住した港商人の町でもあった)に代わる湊として、この善知鳥の地に港づくりを始める。
その後藩は、善知鳥村を青森村と改称し開港している。
その歴史的背景から現在の青森港が開港されるまで
油川(大浜)は港商人で賑わう町として、十三湊から積み込んだ大和シジミを商材として積み込み、販売したものと思われます。
北前舟が入港した時のみ手に入ったシジミは、当時は貴重な物で有ったでしょう、
中身を食した後、貝殻を保存し黄疸等肝機能の異常に貝殻も効能が有るのではと考えたとしても、不思議では無いと考えられます。
現代の今でも古老達は、その効果を疑うことなく語り継いでいます。
炭で焼いて、白い粉が吹くのが目安だと!
また汁には三度は貝殻だけで出汁が出ると云う話も残されています。

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